地図のマークしたところである。
全校生徒108人のうち34人しか助からなかった。河口から3,4キロはあり、学校からは海は見えないくらいのところに位置する。津波が北上川を遡ってきた。
上の写真で左上に建物が見えるが、これが大川小学校である。彼らはいくらも離れていない、写真右側の杉の植わった7,80mの高さの山を登ればよかったのである。しかし小学生が登るには少し角度があるのも事実。すべて結果論である。
かれらのほとんどは山に向かわず、写真を取った位置辺りに逃げたと思われる。ここは学校よりほんの数mの高さがあるだけの橋のたもとである。
この当時は木材が分別され1台のCHIPPING MACHINEがばりばり動いていた。
これが橋のたもと
彼女がAggieさん。ボランティアしている時知り合った。米国から来たボランティア
この橋を渡ると南三陸町に行ける、しかし先端部分が流されていて渡れなかった。
花束が置かれていて、ドイツから来たといっていたか、TVのクルーがカメラを回していた。
遠くの山の端が切れるあたりが海になっているはずだが海は見えない。ここを流れる北上川沿いに津波が襲ってきた。もともとは田畑があったんだろうか、一面瓦礫の海となっていた。
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