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2011年5月2日月曜日

4.東北震災ボランティア 大川小学校

当初南三陸町に行こうとしたが、道路が通行止めになっていた。三陸自動車道?を通っていけば良いといわれたが、戻るのがいやだったので、海側を辿っていこうとした。北上川を河口に向かって走り、橋を渡ろうとしたが、橋が落ちていて、北上川は渡ることが出来なかった。橋の袂のすぐ近くが悲劇の大川小学校であると知ったのは、しばらく後のことだった。

地図のマークしたところである。
全校生徒108人のうち34人しか助からなかった。河口から3,4キロはあり、学校からは海は見えないくらいのところに位置する。津波が北上川を遡ってきた。
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 上の写真で左上に建物が見えるが、これが大川小学校である。彼らはいくらも離れていない、写真右側の杉の植わった7,80mの高さの山を登ればよかったのである。しかし小学生が登るには少し角度があるのも事実。すべて結果論である。

 かれらのほとんどは山に向かわず、写真を取った位置辺りに逃げたと思われる。ここは学校よりほんの数mの高さがあるだけの橋のたもとである。

この当時は木材が分別され1台のCHIPPING MACHINEがばりばり動いていた。



これが橋のたもと







彼女がAggieさん。ボランティアしている時知り合った。米国から来たボランティア




彼女はカナダのボランティア




この橋を渡ると南三陸町に行ける、しかし先端部分が流されていて渡れなかった。



花束が置かれていて、ドイツから来たといっていたか、TVのクルーがカメラを回していた。



















遠くの山の端が切れるあたりが海になっているはずだが海は見えない。ここを流れる北上川沿いに津波が襲ってきた。もともとは田畑があったんだろうか、一面瓦礫の海となっていた。





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