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2011年5月4日水曜日

2.東北震災ボランティア 牡鹿半島

小網倉で何か手伝うことはあるかと聞いてみたが、何もないということだった。どこかに困っているとこないかとか聞いてみたが、鮎川の分庁舎にでも行ったらということであったので、早朝、半島の先端部に向けて走った。
庁舎でボランティアをしたいというと、中学校で物資の仕分けをしているのでそこに行けといわれる。
早速行ってみると、自衛隊が荷物を降ろしている。その中に入り込む。
仕事は
  1. 自衛隊が全国から寄せられた救援物資を、石巻の分配地点から、ここ牡鹿の旧鮎川町分を中学校の体育館に運んでくる。
  2. それを手渡しで体育館に運搬する。
  3. 運搬後今度は体育館内で、各避難所(約20箇所くらい・・・2000名超)の頭数に応じて搬入した物資を避難所ごとに分ける。
  4. 分け終わると、今度は手渡しで逆に自衛隊のトラックに積み込み、各避難所に分配してもらう。
こんな仕事で軽作業である。
お昼は、被災者と同じおにぎりをいただき、やはり救援物資のインスタントラーメンをいただく。
自衛隊以外に地元の被災民といっしょに働く。彼らは避難所から割り当てられてこの作業に当たっているようであった。多くが漁師系と見た。避難所にいてもやることがないんだと思う。すべて漁労に必要なものがなくなってしまったんだから。
人が大勢いるので作業はすぐ終わってしまう。実働2時間かな。待ち時間がかなり多い。

物資はほとんど全国各地から善意で送られてきていたが、当然というべきか生鮮食品がほとんどなかった。肉、魚、野菜が少ない。野菜類はたまねぎ、とじゃがいもをようやく見たかな。
1ヶ月経ても、ラーメン、パン、おにぎり、缶詰、おしんこでは、もう見たくなるだろうと思った。
特に、毎日大量のクロワッサンが来るのには参った。田舎の漁村の年寄りにクロワッサンですかと言いたかった。

多少の話も聞かしてもらったが、鮎川も相当ひどかったようだ。ある漁師さんは船を5隻持っていたが沖だしして救ったのは2隻だけだといっていた。

鮎川の港 地盤沈下






途中のトイレ





自販機がどうも人為的に破られて中の商品が取られた跡があった。
瓦礫で一杯で、多分数日以上、水も満足に飲めなかったことを思うと、しょうがないのかと思った。
これはタバコの自販機のようだが。











伊達藩の特使として月の浦にあった支倉常長の像、ここからローマに向けて出帆したようだ。
荻浜中学の近く。




山を巻いて海岸どおりに出ると、すべてが破壊されている。




1 件のコメント:

  1. だてけん管理人2013年7月1日 20:24

    だてけん管理人と申します。まず最初に当サイトの写真を事前の承諾ないまま使用させていただいたことのお詫びを申し上げなければなりません。
    私は合唱が好きでいろいろな団体と関わっております。しかし、残念なことに持っている楽器(声)の質が今一つ故もっぱら舞台裏の仕事に徹しております。この度、そのうちの一つの合唱団が「慶長遣欧使節400年記念事業」に協賛するということで、スペインコリア・デル・リオ市で活動する合唱団コロ・サンタ・マリアと支倉常長一行の末裔ではないかといわれているハポン姓の方の代表をお招きして、仙台と石巻でコンサートを開催することになりました。急きょチラシを作成したいということで私に依頼が来ました。佐藤忠良作の支倉常長像は、日本や関連する世界の都市を含めて7体あるようですが、ちらしには使節出発の地月の浦のものを使用したいと考えました。本来ならば私が自分で写真を撮りにいかなければならないのですが、時間が取れないためインターネットで検索し、このサイトの写真を見つけました。地震で台座が損傷しているようですがきりっとして立つ様はほかのどんな写真よりも素晴らしく思えました。ほんらいならば、その時点で写真使用のお願いをすべきだったのですが、忙しさにかまけて怠ってしまいました。本当に申し訳ありません。重ねてお詫び申し上げます。
    なお、このコンサートは入場無料で、スペインからの招請の費用はすべて寄付で賄われる予定です。

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