4月22日 福島那珂湊のビジネスホテル泊
4月23日 雄勝、大川小経由で南三陸に向かう
大川小学校跡
祭壇が設けられていた。
お地蔵さんが据え付けられていて、ミニこいのぼりも上がっていた。
昨年木材のチップマシンがフル稼働していたが今年は跡形も無くなっていた。
北上川にかかる橋も修復され開通していたのでそのまま、南三陸に行くことができた。
南三陸町志津川民宿下道荘泊 流されたが立て直して新築状態 いい部屋であった
この日にネットで調べた歌津地区の馬場、中山地区でわかめの手伝いをすることに決める。
その後気仙沼の本吉に出かけ、及川さんに簡単な土産を持って行き手渡す。
4月24日~4月30日 7日間わかめ関係の仕事を手伝う。
沖で刈り取り、船で運んできたわかめを中央のミニクレーンで船より陸に下ろす
フォークリフトで手前の作業場に運搬
90度に熱した海水の釜(写真の灰色の槽)に一袋ずつ投入、30秒くらい(?)攪拌しながらゆでる。(このときほんの少しカキガラの粉末を投入・・カルシュウーム・・・何のためか聞いてみたがもう忘れた。)
茶色がかかったわかめは、見事な緑色に瞬時に変色
しかる後、隣接する冷たい海水の入った槽(写真薄い空色の槽)に移しいれる。移しいれは熱水槽から籠上の金属ネットで、半自動で行う。
冷たい槽に入れたら、直ちに手で攪拌する。この槽は常時ポンプで港内から海水をくみ上げている。
そして、次の茹で上がっ、わかめが来る頃にさらに、その次の隣接する冷海水槽(濃い青色の槽)に移す。ここでも同様に攪拌し、水から上げてかご(黄色い籠)に移す。
ゆでて冷却したわかめは次に塩を摺りこむ(?)作業に移る。
方法は2つある。
ひとつは写真のような回転するバケットにわかめを入れて、その後塩を大量にその中に入れてわかめに絡ませる。塩は南米産の岩塩のようであった。ひとしきり絡ませた後、大きな(2m*3m*高さ1m)樹脂の容器に漬け込み、1日(?)塩蔵する。
もうひとつのやり方は袋にはいったわかめを写真のような槽にいれて圧力を加えながら(だったと思うが)濃い塩水をシャワー状に振りかけながらポンプで循環させる。
この作業のほうが作業としては簡単だが、品質は前者のほうがいいと伺った。
塩蔵が終わったなら、わかめの葉の部分と茎の部分を分離させる作業が始まる
この作業は根気の要る作業で、主に女性陣が担当していた。
家により少しずつ工程が違うようだが、こんがらがったわかめを根元のほうから、あらかじめ一方向に並べて、それから、分離作業に(これを”しんぬき”という)入る。
この作業もわかめの一番先端のほうはどうも商品にならず(茶色く変色するから?)捨てるようである(?)
分離した芯のほうは別の商品になる(?)
しんぬきした後は、油圧プレスにかけて、水分を抜く作業となる。
その後はプレスしたわかめをほぐして、箱詰めする。
佐々木氏の敷地の中に立てられている支援センター
ここは佐々木邸がもともと立てられていたようである。
佐々木氏の作業場(左の小屋)
1日休暇を宣言
5月1日 一関を越えて栗駒山山麓にある須川温泉に向かうが途中で通行止め。まだ開通していなく5月2日明日開通と書いてあった。
仕方なく、ゲート近くの日帰り温泉真湯温泉に入る。泉質はなかなかGOOD
南三陸まで帰る予定であったが、いやになってしまい、とまるところを探すがなかなか見つからず。
ようやく探した一関のビジネスホテルに泊まる。
5月2日 予想どおり天気が悪い。雨も降っているのでかなり迷ったがせっかくきたので、須川温泉に行くことにした。
コバルトブルーに似たいい温泉。そんなに熱くもなくいい湯加減
5月3日また南三陸に戻ってきた。
宿泊したセンター
ここもボランティア団体が作ったようだ
中は10畳が4部屋くらいあり大変広い
巻きストーブがある
食料も豊富にあるが食べたら補充が必要
5月3日から6日までは横浜から来たYさんの補助をして、未来道脇の裏山の倒木の整理、三浦家、及川家の裏山の不要な木の伐採などの手伝いをした。
最終日には屋号おおかみさんの依頼でクヌギの木何か忘れたが、きのこの菌の植え付けを手伝う
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